Chapter.08
京都府立洛北高等学校 美術科 教諭
小野 啓亘さん
洛北高校は中高一貫校ということで、美術や音楽などは各科目1人の教員が中学も高校も授業を受け持ちます。それ以外の科目は、中学校、高校それぞれの専任の教師が受け持っています。したがって、この学校での美術の授業は私が全般的に受け持っています。中学校は各学年2クラスあり、1学年約80人、3学年ありますので6クラスおおよそ240人です。今日は中学校の授業がありまして、3時間目に中学校1年生、5・6時間目に中学校3年生の授業がありました。高校では美術は選択科目になっていて、さらにⅠ類以外は1年次でしか美術を選択することはできませんので、多い時でも150人くらいです。毎日3コマくらい、木曜日が3コマ、あとは毎日2コマずつ授業を受け持っています。水曜日の午前に授業と別の仕事が入るので、空けなければならないのです。火曜日だけ6時間ぶっ続けで授業をしています。
高校生と中学生の違い
美術の授業を必修科目として必ず受けなくてはならない中学生と、選択科目で自ら選択して受けている高校生では、授業に臨む姿勢というのは変わってきてしまいます。同じことを教えていても、選択して受けにくる高校生と必修で受けている中学生の食いつきはやはり違います。教える側の私としては、変わらずに教えたいのですが、状況に対応するため生徒の興味を引き続ける工夫が必要になってきます。それがないと授業を続けるのが困難な場合もあります。基本的に真面目な学校で、中高一貫校であるからというのもあると思いますが、さすがに美術の授業中に他の科目の勉強をしているという生徒はいません。休み時間に読んでいたマンガが面白くてそのまま読んでいるという生徒はいますけどね。
そういう生徒たちを叱りつけるというよりも、授業に引きつける工夫が求められると思います。若いころは私語をする生徒を叱ったりもしていましたが、怒るのも疲れますし、怒らないですむ方法を考えまして、授業態度を評価しますよ、と。集中していれば週に1度、2時間続きの授業で2点プラスします。サボっていたら2点マイナスという方法をとっています。そうすれば生徒たちは黙々と取り組むようになります。黙って集中させる工夫をします。そうすると、美術ってやりだすと面白いじゃないですか? 集中してやっていると面白いことが実感できてくる。そして面白いと集中するというサイクルができてきます。自画自賛になってしまいますけれど、みな、割と満足して授業に取り組んでくれているのではないかなと思います。
今出している課題
高校1年生には「古の町」ということで町の絵を描かせています。たとえばここにある作品、これも生徒の作品なのですが、淡彩で着色をして、そのあとにスパッタリング(絵具の飛沫で絵を描く手法)で鳥を飛ばしています。ダブル、トリプルイメージで完成させていくということをさせています。高校2年生は油絵をやっていて、「自分の世界を表していこう」という課題を出しています。ここにある生徒の作品などは、下地から色合いが灰褐色だったり、何とも言えない世界観に仕上がっていますね……。高校3年生はもっと大きなキャンバスで同じ課題「自分の世界」を描かせています。中学3年生では「浮世絵を立体的に処理していこう」という課題でスチレンボードを使ったりしています。中学2年生は「カライドサイクル」というものを作っています。これは、三角錐がつながったくるくる回転する多面体に絵を描いたり模様で変化をつけていくというものです。中学1年生は、スケッチブックの表紙に名前をレタリングしているところです。
現在、美術部の顧問もしています。美術部の活動は基本的に生徒がそれぞれやりたいことをやっていくのですが、今は、中庭の楠を描いています。授業が今日は7時間目まである日なので、そのあとの放課後に描いています。美大に進みたいという生徒のために、美術の進学補習というものをやっていますので、そこでデッサンをみたりしています。大変ですが、その分やりがいがあるところでもあります。もちろん授業も面白いのですが直接進路に関わることのほうが、大変だけど面白いのは確かです。
教師になるまで
私はこの学校へ来て8年目になります。それまでは八幡高校という京都の南のほうにある学校にいました。学生時代は教員になるつもりはなく、普通の高校に通い日本画がやりたいなと思って絵を描いていました。進路は美術一本でいこうと決めていたのですが、親が反対をするので理数系の学校も受験しました。東京の私立大学の理系学部と京都教育大学の美術科に合格しまして、本来やりたかった美術ということもあり、そして親も公立のほうがいいだろうということで京都教育大学に入学しました。そこでは彫刻を学びました。日本画を学びたかったのですが、なにぶん不真面目な学生だったので抽選に勝ち抜いてまで行く権利はないなと思いまして、第2志望だった彫刻科に進みました。消極的な理由ではありますが。入学後は部活動などに熱心に打ち込んでいて、美術科の活動には熱心ではなかったですが、4回生くらいになって作品に打ち込むようになりました。
美術はやればやるほど面白くなる
平面と立体の違いというか、彫刻科に入学するまでは日本画を志望していたので、平面的なものの見方をしていました。ところが彫刻では立体的なものの見方を求められてくる。そこが非常に難しい。難しいから面白い。次はここまでできるようになってやろうとか、どんどんのめり込んで行きました。追求してもたどり着くようなものではないので果てしないですね。
教員免許は取らなくても卒業できるのですが、せっかく教育大に通っているので、取りました。作家活動をしたいと思い、就職活動はせずに卒業後しばらくは造形関係のアルバイトをしながら、作家活動をしていたのですが、非常に不安定な仕事だったので、アルバイト先の社長さんから教師になったほうがいいんじゃないかと勧められました。いつまでも作家活動しながらアルバイトというよりは、ちゃんと就職しろということだったと思います。
教師としてのやりがい
消極的な理由でしぶしぶ教師になったような感じですが、教師はいやいや続けられるほど甘い仕事ではありません。最初に講師として働いたのが、ここ洛北高校の定時制課程だったのですが、その時に教師としてやっていけるか試すつもりで働いていました。それが面白かったのです。
生徒たちは、いろんな事情があって定時制に来ているんですけれども、圧倒的に多いケースは、学力が足りない、でも高卒の資格はほしいという生徒でした。その子たちは英国数理社の勉強は基本的には苦痛で美術や体育が本領発揮という感じで生き生きとやる。そういう生徒たちがより興味を持つような教材を選んでやらせてみたら、非常に興味を持って取り組んでくれて、用務員さん(現、技術職員さん)が、「先生が美術の授業をやっている時の生徒の表情がいちばんいいわ」と言ってくださって、そのときに教師という職業もいいなと実感しました。そのときは単発的な課題、三原色で全ての色が作れることを示したり、木版画を多色刷りでやらせたり、木工で動物パズルを作ったり、そのあたりがすごく喜んで取り組んでくれたのが嬉しかったです。
教師の採用試験は私が受験した年には倍率が結構ありまして、受験者が60人ほどいたのに対して、受かったのは僕ともう1人くらいでした。もっとも僕は1回目に受験した時は落ちて2回目の挑戦だったのですが……。受験の時、もちろん試験に向けて勉強もしたのですが、これと言ってたいしたことはしていなかったと思います。普通に試験勉強をしました。
美術教師の魅力とは
美術の教師は、美術のことを好きになってくれるような授業をしないといけないなと思います。美術というものが日本ではまだあまり認められてはいない気がするので、そういうのを変えていくには、教育の中で、面白さや大切さを実感する機会というのが重要なのかなと思います。
先生になってよかったと感じたことは、日々いろいろなところでありますが、いちばん最近では、今日の授業でもそうでした。生徒が熱心に課題に取り組んでくれているのをみたときに、「ああ、いいなあ」と嬉しくなりました。今年で教師になって23年目になるのですが、最近は惰性に走っているなと日々の自身を振り返って反省いたしまして、気合いを入れなおしたところなのです。
そこで生徒が提出した課題などに非常に細かく指導するようにしたのです。その成果があったのか、毎回、生徒は非常に熱心に授業に臨んでくれていて、今回もレタリングをいったん提出させたのですがその際に、一人一人非常に細かいところまで赤ペンで描きいれて指導しまして、かなり手間がかかることなのですが、生徒たちの様子を見ていたら、あれだけ大変なことをしたら、それがちゃんと戻ってくるんだな、こういうのっていいなとしみじみ感じていたところです。打てば響くといいますか。
受験では、本番まで遠いので気合いが入ってくるまで時間がかかるのですが、気合いが入ってくると、熱心に取り組むじゃないですか? 熱心に取り組むと力が付いてきて、取り組んだ絵が上手くなっているのを実感できた時はまたやる気が出てくる。そのサイクルを普段の授業でも取り入れたい。今それに似た状態になりつつあるのかな。結果が伴ってくれば更によくなっていきますよね。いいサイクルができあがりつつあると思います。
働くとは
働くというのは、どんな仕事であれ誰かの役に立っているということですから、それは喜びにつながるはずです。金銭的なこともありますが、単にお金を稼ぐこと以上に、誰かの役に立っているという実感があればこそ、働く意味があるのだと思います。たとえそういう実感が今の仕事では感じられないとしても、収入として得たお金を使って誰かを喜ばすことができる。喜びがあるから、そのために働くことができるんだろうなと思います。生徒たちがそういう風に働けるように、美術の授業でできることは、いろいろなものの見方を教えることだと思います。それは彼らが後々いろいろなものを見て判断していく中で、役に立っていくことだろうと思います。そして生徒たち一人一人が興味あるものに出会うことにつながればいいと思います。
別に美術をやるからにはアーティストにならなくてはならないということではなくて、もちろん何人かそういう生徒が出てきたら嬉しいとは思いますが、それよりも社会で生きていく中で最低限の生きていくための、ものの見方というものを教えるのが学校の役割かと思います。
美大を受験する際にデッサンの勉強をしたら、いかにそれまで自分が物をみていなかったかということを実感するはずです。授業を通して彼らがそういうことを実感できたら、必ず役に立つと思います。かつては、1回の授業で必ず1回は笑いを取ろうと密かに決めていたのですが、最近疲れてきました。なので、そういうパフォーマンス的なことよりも、授業に集中させる工夫のほうを考えてしまいます。片づけの際に「授業後のかたずけが一番遅かった班は掃除!」とか、たまに言ったりはしますけどね。生徒たちの様子を見て、どうしたら面白いだろうとか、こっちも探り探りです。信念というものではないし、生徒に向けてということでもないのですが、自分自身が制作者であるということをみせていたい。美術に携わって美術を教えるからには、自分自身が制作者であり、その姿を見せながら生徒に接していきたいとは思います。
”制作者である姿を見せながら生徒に接していきたい”
プロフィール
小野 啓亘 おの ひろのぶ
1960年愛媛県生まれ。
1983年3月 京都教育大学特修美術科卒業、1984年3月 同教育専攻科彫塑専攻修了
1996年、1998年日展特選 受賞。現在、京都府立洛北高等学校 教諭、日展会員、日彫展会員
*本文中の日時・役職・その他各名称等はすべて取材時のものです。