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Chapter.03

草源カフェ 代表

小泉 攝(せつ)さん

 

”気がついたら、自然とこうなっていた”

 

うげんカフェは、「草」と「源」で「草源」と書くのですが、その意味は、土と光と水、草の源みたいなところからきています。もともとそこまで考えていなかったのですが、よく聞かれることがあって、その時にはそう答えているのでそういう事にします(笑)。カフェとして重要な要素は3つあって、「空間」「料理」「サービス」と考えています。「空間」は光や植物、風通し、物の配置や清潔感すべてで、「料理」は水や大地の恵みを感じることができるもの。「サービス」は気持ちよく過ごせるように接すること。この3つが揃ってはじめて居心地のいいお店になると思います。それはお客さんにとってだけではなくて、働いている従業員にとってもそうだし、出入りする関係業者の人にも、僕にとっても、もちろんインタビューに来てくださったあなたにとっても、お店に関わる人すべてにとって居心地のいい場所でありたいと思っています。

 

学生時代

 

 僕は大学時代、哲学科に在籍していたのですが、勉強を熱心にしていたというわけではありませんでした。それよりもカフェや保育園でバイトをしていたので、そっちの方が人間関係も面白く、学べることも多かったように思います。大学でどうしても哲学を学びたかったというわけではありませんでした。まあ、哲学的なものの見方とか役立っている部分もあるとは思いますが、どうしても哲学を学んでみたいというような熱意があったわけではなかったです。それよりもいろんなことを経験したかったですし、そのための時間的な猶予がほしかったというのが本音でしょうか。学費を親に出してもらっていて申し訳ないと言えばないのですが、今はそれでよかったと思います。

 大学を卒業した後は、知人のやっていたログハウスを作るという仕事を手伝わせてもらっていました。これは力仕事で日本全国あちこちへ行き、ログハウスを組み立てる毎日でした。ログハウスは木材をカナダから輸入し、一軒分の木材を現地に届けてもらうという方法で組み立てていくのです。材料が一式揃っているという前提のもとでではありますが自力で家を作れるというのはセンセーショナルな体験でした。とはいえプラモデルほど至れり尽くせりではなく、現場で木を削るなどその場その場での工夫を必要とする部分もありましたから、創意工夫の余地もあり、いい経験になったと思っています。

この仕事は大体1年ぐらい続けていたのですが、じつはその時、ログハウスの仕事と同時に教師の資格を取るために大学へ教職課程の聴講へ通ってもいたのです。ところがログハウスの仕事に従事しているうちに、大学の出席日数などがギリギリになってしまいました。単位を落として留年、さすがにもう1年大学に通うというわけにはいかないと言う事で、ログハウスの仕事はやめて大学での勉強に専念しました。

 

結婚、転職の日々

 

 大学を卒業して、ログハウスの仕事を1年、花屋で4年働き、2000年9月に妻と結婚しました。そのときは仕事をしていませんでした、模索中というか。無職では暮らしていけないだろうと心配してくれた知人の紹介で、花屋で働くことになりました。花屋の仕事は華やかな印象と違い、力仕事だったり、いろいろと神経を使う事もありましたが、配達でいろんな人と出会ったり、アレンジメントの奥深さを知ることができたり、学べることがたくさんありました。

 その仕事を約2年間続けた後、今度は広告やウェブのデザインなどの会社で出版物の編集などをする仕事を1年間ほどしました。次々仕事を変えていますが、僕は一度気持ちが他の方へ向いてしまったら、ズルズルと仕事を続けるのが嫌だったのです。真剣に仕事をしている人にも、関係する人にも失礼だと思いますから。だからもう、辞めようと思ったらすぐに辞めます。そしてやりたい事をやります。そういう好奇心と行動力はあります。だからあまりストレスを抱え込むというタイプではないかも知れません。

 

好きなことやっていくうちに、できることが増えてきた

 

 それから、独立しました。その時は30歳を超えていましたし、もう次に何かやるならどこかで働かせてもらうというよりは、自分で何かを始めたいなと思いました。といっても最初から、「よし、カフェをやろう!」と思い立ったのではありません。何かをやろうとは思いましたが具体的に何かをやるんだと決めていた訳ではありませんでした。

 いろんな仕事を転々としてきて、僕は何がしたいのか、何ができるのか自問自答した中で見えてきた自分の姿。誰かに雇われて働くというより自分で何かを作りたい。ログハウスを建てる仕事をした経験から家を建てることができる、空間を考えたりすることが好き、花も好き、料理にも興味がある、そして暮らすっていう事そのものに興味がある、と自分を知りました。これらの経験は最初から計画的に、「まずは家の建て方を覚えるためにログハウスで働こう!」「次は花だ!」という風に進めてきたわけではありません。それが何につながり、将来どう役立つかは分かりませんでしたが、その場その場で興味のあることをやってきました。もう行き当たりばったり。ただ「何かをはじめたい」、「ゼロから作り出そう」と思い立ったその時に、できること、やりたい事、好きな事を踏まえ、あらためて考えてみると、「カフェならできるな」と自分なりの勝算みたいなものを感じました。

 なぜカフェなのかというと、その時に自分が蓄えていた能力や経験というものが活かせると思ったからです。天職は誰にでも用意されているのかもしれないけど、なかなか見つかるものじゃない。たとえば僕は洋服も好きですけれど、服屋さんをはじめようと思ってもゼロから全部作るのは難しい。本を書こうと思ってもすぐに書けるものじゃない。悲しいかな、その時の僕には本を書いたり、洋服屋さんを始める条件が整っていなかったのです。でもカフェなら「できるな」という実感がありました。とても始めやすかったです。能力や環境、そのほか必要なものがその時点ですべて自然と揃っていたような、手の届く範囲にすべてがある感じがしました。僕の中に蓄積された経験と知識が、そう感じさせてくれたのだと思います。

それまでいろんな仕事をしてきて、たとえ辞めてしまっても経験やスキルというのは蓄えられてきたわけで、そういうものの中から興味のあること、好きなこと、出来ることを集約して形になったのがこのお店という訳です。

 ひとつだけ、カフェを始めるためにやったことがあります。それは料理を学んだことです。約1年ほど友人が経営しているスペイン料理のお店へ料理の修行に行きました。スペイン料理にこだわっていたというわけではなく、そいつはすごく料理が上手かったんです。どうせなら上手い奴に習いたいじゃないですか。それで、そこで料理を学ばせてもらいました。それだけはカフェを始めるという目標のための経験でした。あとはその前からありました。

 

セルフビルドについて

 

 それから1年半ほど物件探しに費やしました。その時には子供もいたのですが、妻が看護師の資格を持っていますので、僕が収入のない間は妻が仕事をしたりして食いつなぎました。三十路で妻と子もいて無職で、どうするんだといわれそうですが、目標があって期間限定ならなんとかなりますよ(笑)。

物件の条件としては職住一緒というのが絶対条件で、あと庭があること。この条件で探していました。一軒家に生まれ育ったせいか、ほんの一部でもいいから地面に直接接する場所がないと落ち着かない性分でして、だからマンションとかは耐えられないなと。地球の一部、大地の民でいたいんだと、そこはこだわりました。大地や風、自然を感じることができる場所を探して。

 京都で育ち、その後、小学校に入る前に山口県へ引っ越しまして、また京都に戻ってきたという経緯があるので土地勘と言うか、京都のどの辺りがどういう感じというのは感覚で分かります。左京区にこだわっていたわけではないのですが、のんびりとした雰囲気が好きで、いいお店も今ほどではなくてもポツポツとあって、なんとなくこの辺りがいいなと思っていました。1ついいお店ができると、その周りにお店ができて、盛り上がってくるじゃないですか。最近はいいお店も増えてきたので、ここにしてよかったなと思っています。

 そうやって見つけたこの物件、もとはかなり奇抜な建物だったんですが、余計なものを全部取り払えばいいものになるなと思う事が出来たので、ここに決めました。セルフビルドと言って、解体や改築などの作業はすべて自分の手で行いました。全部自分でやってやろうと。解体には解体の、壁を張り替えるには張り替える作業のノウハウというものがあり、専門書を本屋さんで立ち読みしたり、昼に建築現場で休んでいる作業員の人に「この壁はどうやっているの?」と直接聞いてみたりしました。家を一軒建てるのにもたくさんの専門分野、およそ30から40の専門領域があって、それぞれのプロフェッショナルがいる。奥が深いですよ。

 設計図のようなものは先に用意していたのですが、作っている過程でこうした方がいいなと思ったところは、その都度変えていくという事が出来たのもセルフビルドをしてよかった点です。例えば、1階に大きな窓を作る予定だったのですが、その場所から見えるのは隣の敷地にある駐車場だったのであまり景色は良くないなと、現場に立ってみて初めて気付づいたのです。だったら高い位置に天窓を作って、そこから光を取り込めるようにしたらお客さんが席に座った時に光を感じることができる。小さくてもあたたかい太陽の光が降り注ぐ窓がある方が、駐車場が見えるより席に着いたお客さんにとって居心地がいいだろうなと思って。そういう工夫を挟み込めたので、職人さんに任せっきりで作るより良かったと思います。職人さんに任せて後悔するのも嫌だったし、「ああじゃないこうじゃない」と現場で指図するのも苦手だった。でもどうしてもこだわりたかったので、思い通りにやるには自分でやるしかなかったのです。

 自分でやったので電気や水道管などどれがどこを通っているかとか、この建物に関するすべてを把握しています。費用はかかりましたが、それでも人件費がかからなかったので、職人さんに任せっきりで作る半額以下で出来たと思いますよ。半年ほどかかりっきりだったので、その間の収入はなかったのですが、その浮いた金額が収入だったと思えば、なかなか悪くないと思います。

 

フローリスト、花を通して人生に関わる仕事

 

 花屋で働いていた経験を生かして、この建物の駐車場をはさんだ北側に花屋をオープンしました。当面のところはこの店を軌道に乗せることで頭がいっぱいです。花が登場するのって冠婚葬祭すべてのシーンなのです。フローリストは花を通して、本来なら関わるはずのない人の人生節目の大事な場面に立ち会う事が出来るんです。お葬式のときなんかもそうで、前日にお花を届けるのですが、お葬式の前日と言うとお通夜なんですよ。お通夜で、夜遅くもうほんとに身内の方しか残っていらっしゃらない。お通夜の日、独特のムードの中で身内の方が「ああだったね」、「こうだったね」とその人を偲ぶ会話をされていて、そこに部外者の僕一人、黙々と花を活けているんです。花を通して人生を見ることができるというのは間違いなくこの仕事の醍醐味です。

 

未来は高原カフェ!?

 

 僕にとっての仕事とは、社会と自分を繋げるインターフェイスだと思っています。仕事をすることによって、社会と関わりを持つことができる。自分がどんな仕事をし、どんな人間かという事を示すことで社会の方からの自分に対する接し方も変わってくるものだと思うのです。だから、やりたいことがあるんだったら、やってみること。自分はこういう考え方をしていて、こういう事がしたいのだと示してみることが大事だと思います。それを通して、いろんな人と関わることができる。その関わりが社会と自分とをつなぐ窓、インターフェイスになると思います。例え歪(いびつ)でも何かを示すことができれば、それにたいする評価や意見が返ってきます。受け止め反映させる過程で少しずつ何らかの形になっていく。夢というのはそうやって軌道に載せていくものです。今後、2号店を作るならビジネス街のオフィスビルの屋上とか都会のオアシス的な場所にお店を持ちたいですね。さっき「地面に足が付いてないと」と言いましたが、まあ屋上でもいいですよ。空に近いから。自然を感じることができるという共通点がありますし。そういう考え方ならどんどん広がって、海や川沿いのカフェや、高原にあるお店も素敵ですね。まあ、なるようになっていくんだと思いますよ(笑)。

プロフィール

小泉 攝

こいずみ せつ

1971年京都府生まれ。

1995年 龍谷大学 文学部哲学科 卒業。

Sowgen brocante、sowgen florist/そうげんカフェ代表

*本文中の日時・役職・その他各名称等はすべて取材時のものです。

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